お伽噺

金を持っているような知己のところへは、どこもここも、義理を悪くしているから行くことが出来ない。……昨夜宿めてくれた長谷川(はせがわ)は、そんなに困っているならお伽噺(とぎばなし)でも書いたらどうか、少年雑誌の編輯(へんしゅう)をしている人を知っているからそれへ売りつけて上げることにしてもいい、と言ってくれた。そうか、まあ、これからそんなことでも少しずつ初めることかな。……こんなことを思いながらぶらぶら当てもなく銀座の通りへ出た。 お伽噺などと言ったところで、どんな風に書いて良いものか、それにこのごろの子供はどんなことを好くか、それからしてちょっと当りがつかない。しかしとにかく筋を一つ立てて見よう。彼はほんとにそれをやって見る気になっていろいろと真面目に考えた。考えてもなかなかおいそれと面白そうなことが思い浮んで来ない。継児(ままこ)だの孤児だのを材料にしても今様に仕組んだ哀れな物語をよく活動写真などで見るが、そんなものは何ぼ何でも我慢が出来ない、それではやはり、ごく古いところで、「むかしむかしあるところにお爺さんとお媼(ばあ)さんとがありました」かな。これもあんまり白っぱくれていて感心出来ないが、まあそんなことにして初めるとしよう。
